「上手い」という言葉の意味を、あらためて辞書で調べてみると…
weblio辞書で適当にググると…
技術や手法が優れているさま。「巧い」とも書く。
らしいです。まあ、そうですよね。
『定量』と『定性』
ビジネスにおける人材評価の場面であったり、科学研究の場面なんかにおいては、この『定量』と『定性』の概念をよく使うと思います。
特に、それなりにサイエンスに取り組む学生であれば、ひよっ子の段階で徹底的に叩き込まれる概念なのではないかと思います(私の場合、ここら辺がクチャクチャのレポートを書くと、担当のアル中教授によくチューハイ缶で頭をぶっ叩かれました)。
『定量的』とは、数値で捉える事が出来る事象のことです。職場なんかでイメージしやすいシチュエーションだと、例えば…「Aさんはこの(複雑な)仕事を、30分で終わらせる事が出来る。」といったようなものですね。
『定性的』とは、数値化が出来ない事象(厳密には、色々な測定方法を駆使して、定量的な状態に限りなく(無理やり?)近づける事は出来ます)のことで、要するに真逆のことです。例えば、「Bさんは心優しくて、気遣いが出来て、周りからの信頼も厚い。」といったようなものです。
(例えば大企業なら、無理やり大量の関係社員にアンケートを取ったりすれば、前述のような「無理やり定量的に近づけた状態」は作り出せますが…)
とにかく、物事を評価する場合、この二つの概念が必要です。
「上手い」の三文字だけでは定性的
「上手い」、といっただけでは、少なくとも「アングラーの技量を評価する」場合、定性的な評価手法です。定性評価では、数字でシャキッとわかる定量評価に比べ、パッとしません。
チニングの世界に「定量評価」一本が根付いている現在
現在ダイワに所属されているMプロの場合、チニングのパイオニアでありつつ、そのPRポイントとして、『年間〇千枚釣った』といったような表現をされていると思います。
チニングが(言い方は悪いですが…まともな)ルアーフィッシングの対象として市民権を得たのはここ最近の事であり、他の魚種に比べたらかなり歴史の浅いジャンルと言えます。ルアーフィッシングのステージにチニングが定着するにあたり、セットで着いてきたのが「尾数」という定量評価です。
これは現在でも非常に色濃く残っており、コミュニテイに属していると、その評価軸の浸透度合いを感じる事が出来ます。
とはいえ、仮に再現性のないフワッとした釣りであればそもそも市民権を得られない訳で、ある意味ルアーフィッシングの土俵に『チニング』がしっかりと登るには、『数字による説得力』は必要不可欠でしょう。文化の成熟において必然だったと言えます。
『個々の人間の能力』に焦点を当てた場合…
先述の『定量』・『定性』の概念とはまた別に、人間個人個人の能力を測る場合、少し似た概念として『認知能力』と『非認知能力』というものがあります。
認知能力とは、テストで測れる知識・技能・論理的思考力等の事です。例として
・記憶力
・計算力
・言語力
・論理的思考力
等があります。見ての通り、国数社理英のペーパーテストでまさに求められる能力ですね。
非認知能力とは、数値化できない内面的な能力の事です。例として
・バイタリティ
・協調性
・自信
・やり抜く力(GRIT)
等があります。どちらかといえば、学力というよりは「世渡り」に必要な能力ですね。
また、個人的に『GRIT』は、釣りの技量と密接な関係があると思っていますので、詳しくお話します。『GRIT』は四つの要素の頭文字を取ったもので、
・Guts(ガッツ)…困難に立ち向かう「度胸」
・Resilience(レジリエンス)…失敗しても続ける「粘り強さ」
・Initiative(イニシアチブ)…自ら目標を掲げる「自発性」
・Tenacity(テナシティ)…最後までやり遂げる「執念」
のこと…らしいです。どちらかといえば、更にストイックな領域、まさにプロアングラーの領域で求められそうなものですよね。
技量の自認と、実態のズレ
物事の上達において、『ダニング・クルーガー曲線』という考え方があります。

主に四つのフェーズがあり、
①馬鹿の山(すべてを理解したと思い込み、自信が過剰に高まるフェーズ)
②絶望の谷(自分の無知に気付き、自信を失うフェーズ)
③啓蒙の坂(少しずつ能力が向上し、自信がゆっくり回復し始めるフェーズ)
④継続の大地(自身の能力を正確に評価出来、適切な度合の自信があるフェーズ)
に分ける事が出来ます。
ちなみに私は、田辺哲男プロの「60代に入って、バスという魚の事がちょっとだけ解ってきたと思うよ」という言葉が好きです。まさにこの曲線を辿っている事が解ると同時に、バスフィッシングに人生の全てを投じた人が、ようやく『継続の大地』に差し掛かった状態だと考えると、釣りの奥深さに恐ろしささえ感じました(笑)
やっぱり…
〇〇さんは「上手い」のか、否か。
これだけで議論がスタートしてしまうので、ほとんどの場合、非建設的なやり取りになってしまう…という一点に尽きると思います。最初から、明確な答えが出ない事が確定しているのです。
そこに定量的な『尾数』という評価が持ち込まれ、数字のインパクトと解りやすさから、主流の評価軸として浸透していると私は考えています。
でも、やっぱり釣りの上手い/下手ってそんな簡単な話じゃないよね
たとえば、『魚の居場所を見つけるのが上手い』といった能力であれば、表現としては「定性的」であり、(魚探で逐一答え合わせをしたりしない限り)本当に「魚の居場所を見つけるのが上手い」のかを検証する事は困難でしょう。でも、「この人、本当に魚の居場所を探す能力に長けているな…」っていう人、いるじゃないですか。
また、『GRIT』に秀でている方であれば、釣行の母数や継続時間、現場で引き出しを全て使い切る力等、より良い釣果を出す上で、全てが間違いなく有利に働くでしょう。
釣りの上手い下手は「数値で表せる能力」といったような「定量的な測定項目」だけで測れる訳ではなく、また「認知能力」のような「(わかりやすい)頭の良さ」だけで測れるわけでもない、と思います。
もちろん、大会に出場される方で、レギュレーションに則った評価軸で努力される場合は、こんなことを言っている場合ではありません。
しかしあくまでも、大会の順位を決める評価軸は「定性的な『釣りの技量』を、わかりやすく簡潔に荒削りした『ルール』で、どちらかといえば定量的“寄り”に近づけたもの」であり、本質的な『釣りの技量』ではないはずです。
例えば陸上競技なんかと比べると明快ですが、運の要素もデカすぎますしね。
結局のところ、自然現象は人間が理解しきれるほど単純じゃない
言ってしまえば、自然現象があまりにも複雑すぎるために、我々は釣りにのめり込んでいる訳です。そこで起きる事象は、人間の脳みそで処理できるような範疇を遥かに超えています。常に「意外性」があり、驚くこと・学ぶことの連続である事が、最高に面白い訳です。
逆に言えば、アングラーのパラメータ全てが「数値で定量的に評価可能」な状況にまで人類のテクノロジーが到達してしまえば、釣りはとてもつまらないはずです。
ワタクシゴトで〆ます…
ちなみに、私は正直なところ、釣りにおいて「(結果で)人より上に立ちたい!」といったベクトルの向上心は皆無に近く、「これを試したらどうなるんだろう?」といった好奇心寄りの気持ちでほぼほぼ動いています。
とても上手く行きそうにない突飛なアイデアにのめり込んで、十数回連続でボウズを喰らう事はザラです。そんな状況でも、何か意外な発見があれば、ボウズでも腹の底から「楽しい」「面白い」と思ってしまいます。逆に連発するような状況では、すぐに好奇心が燃え尽きて飽きてしまい、さっさと帰ってしまう事が多いです。このような場合には、あまり面白いと思えたことがないです。
数字を追いかけると、少なくとも私の場合、日々の釣行はジワジワと「義務感」に迫られたものに変わり、楽しさが曇って来ます。それに伴い、結果も少しずつ出せなくなり、空回りが加速する悪循環に陥ります。やはり、継続が上達の前提条件ですからね。
また、私が通っていた学校では、魚の事を専門に学習するコミュニティであったが故に、日本全国から生粋の魚好きが集まっている環境でした。〇ローブライドや〇マノに(釣りプロという形だけではなく…色々なカタチで)就職する者も非常に多く、そんな仲間たちと一緒に釣りをしまくった結果、「俺って大して釣りのセンスないんだな」という事を、数年間まざまざと見せつけられました。そんなこんなで、私は自身を「釣りが上手い」と思っていない(というか思おうとしても思えない…)状況です。
どちらかといえば、魚を愛玩目的で飼育したり、何かしらの飼育実験をしたり…そうした分野で問われる知識やセンスには、強敵たちに揉まれた後も自信が残っています。
そっちの方が色々向いているような…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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